72時間の小さな世界(君がビッグショーだったら)
WWEマガジン10月号 “It's A Small World”72hours(ビッグショーのインタビュー)
私達がビッグショーの為に借りてきたマーキュリー・マウンテナー(車の名前)には問題があった。

「マウンテナーが窮屈なんだ。」
7フィート1インチ(約216cm)で、500ポンド強(約227kg)の巨人は、ニューヨークのラガーディア空港までのフライトから降り立った時に言った。

「一番デカい車だって言ってましたけど。」
「俺にはまだ小さいぞ。」ビッグショーは答える。

「もし、一番デカいキャデラックがあれば見てみますか?」


ハーツレンタカーの駐車場には、一台もキャデラックはなかったが、「15席あるバンがありますよ。」とレンタカー会社は言っていた。

その車を改造するのに、ハーツ社のスタッフは30分もかかった。

私達が空港からその車を運び出す前に、シートの一列を取り外したので、ビッグショーは手足を伸ばす事が出来た。
しかし、私達が高速道路に入るちょっと前に、ビッグショーは「運転したい。」と言い出した。

そして四角い箱の中での巨人と私達の72時間は、ビッグショーがマンハッタンの摩天楼に向かう時、
6月の太陽が、私達を乗せたバンに差し込むと共に始まった。

元ファーストレディーで現ニューヨーク州上院議員であるヒラリー・ロドハム・クリントンと一緒の短い時間だが、
出来事の多い土曜日の朝のワシントンDCからのフライトはWWEのスーパースター達の集団で、同じキャビンを占領してしまった。
注目すべき事は、彼女がブラッドショーと視線を合わし、ほほえんだ事だ。

「私は、彼らがやっているプロレスが好きだわ。」
彼女は夫である元大統領ビル・クリントンとアーカンソー州の家に住んでいた時、テレビでカウボーイ姿のビル・ワッツの
古いプロモーションフィルムを見た事について思い出すと彼に言っていた。


ビッグショーは、席替えをしそこなった。
いつもは、飛行機の一番前の列の右側に座り、膝の古傷を和らげる為に、通路に左足を投げ出しているのだ。


「俺は、機内で自分の前に誰かが座っているのが嫌なんだ。」彼は説明した。

「席替えしないと、いつもずっと座席を後ろに倒して、俺を押しつぶそうとするチビ男がいるからね。」


59丁目の橋の上で、ビッグショーは家族の事について話し始めた。

祖父のジェイ・ジョージ・ワイトは、電気屋で6フィート5インチ(約196p)もあり、父親のポール・シニアは、パイロットで整備士でもあった。


「もし、君達がポパイの漫画で、プルートを見た事があるなら、俺の親父がどんなルックスだったかわかるよ。」彼は言う。

「親父は、この野球帽を目深にかぶっていたよ。
でも、人が親父の気に入らない事を何か言ったら、帽子は持ち上がって、親父の両目がつり上がるんだよ。」


故アンドレ・ザ・ジャイアントの様に、ポール・ジュニアは「先端巨大症」(時々、「巨人症」とも言われる)として生まれた。
成長ホルモンの過度の分泌が引き起こす病気である。しかし、アンドレと違い、幼い頃、ビッグショーには異常が認められた。
そして20歳の時、彼は先端巨大症が関わる腫瘍を取り除く為の手術を受けた。
その目的は、ポール(ビッグショーの本名)をもっと成長してしまう事から予防する事であり、
うまくいけば彼の寿命をひろげる事が出来るというのであった。


それでも私達がマンハッタンの橋側の赤信号で止まった時、ビッグショーは「老衰で死ぬ事は期待していない」と認めた。


「君達は、俺のサイズの男達で、過去50歳まで生きた人をそんなに多くは知らないだろう。

(アンドレは46歳で亡くなった)

君達がこんなに大きくなったら、損ばかりだよ。俺は、それについては暗く考えたりしていないんだ。現実的に受け止めているよ。

多くの人達が、ずっと生きていられると思っているし、実際、人生は俺たち抜きで過ぎていくものさ。
だから俺は、出来る限り多く、人生を楽しもうと思っているんだよ。人に対しては優しく、そして影響を与える事が大事だね。」


確かに、彼の到着は42丁目の洋服屋である「モハンの店」の店員には影響を与えた。

ずっと前から、彼がエレベーターで上にある店に行くと、大体はインド出身の職人が予知して、
WWEのスーパースターの写真を広げて、彼らの有名なお客様の為に、ヨイショしてくれているのだ。

ビッグショーが店に入ると、店員達はリングでのビッグショーの仕事をほめたたえ、まとめてWWEの作り上げたものもほめたたえながら、
酷いアクセントの英語で挨拶をしまくった。

店主のマイク・ラムチャンダリは、当時のニューヨーク・ニックス(プロ野球チーム)のセンターをしていたパトリック・イーウィングの為に、
スーツを作った時、初めてニューヨークのスポーツ界で名声を得た。

7フィート1インチ(約216p)の野球界のスターは、マイクのはさみと縫い針の技術について、話を広めたので、他の人達も彼を探し始めた。
その客層には、野球選手のバリー・ボンズ、元ニックスのウォルト・「クライド」・フレイジャー、国連事務総長のコフィー・アナン氏や
前ニューヨーク市長であるルディー・ジュリアーニ氏も含まれている。


「私共の店では、他のWWEのお客様もいらっしゃいますよ。」
ラムチャンダリは、一番新しいお客のサイズを測りながら言う。


「フレディー・プラッシー、ジャイアント・ゴンザレス、ビッグ・ボスマンです。」
彼はビッグショーにジェスチャーして見せた。

「でも、彼があらゆる点で一番大きいですよ。」


彼の主張が正しい事を示す為に、マイクは電子手帳を広げて見せてくれた。

ビッグショーは、62インチ(約157p)の胸囲と43.5インチ(約110p)の袖丈と
24.5インチ(約62p)の首回りと53インチ(約135p)の胴回りと61インチ(約155p)の
腰回りを有している。
今日、ビッグショーは何か特別なものが必要だった。
ダブルのスーツが2着と上着が1着とズボンが3枚だった。


マイクは、その挑戦に応じてワクワクしていた。
しかし、彼の部下は、有名人の訪問者の為に、時間を集中して取る事は難しかった。

66歳のラム・カラディーン(白髪の男でメガネをかけ、サスペンダーを好んでいる)は、
実際に巨人に突進し、彼の腕をグイッと引っ張った。

それからビッグショーの15インチ(約38p)のこぶしを測りながら、
ラムは驚いてこう言った。

「その手は私には大きすぎるよ、坊や。」

「モハンの店」の用事を済ませた。
理由は、彼が腹ペコだったからだ。
ビッグショーは、タイムズ・スクエアにあるWWEの娯楽複合施設である
「ザ・ワールド」へ街を横切っていこうと提案した。

私達は、グランド・セントラル駅のちょうど外側に立っていた。

チャイナタウンで北京ダッグを食べ、リトルイタリー(イタリア移民街)で
にんにくの味つけがされた車えびのフライとスペアリブを食べ、
さつまいものパイをハーレムで食べ、そしてロワー・イースト・サイドで
乱切りレバー肉にクラッカーの粉で作った団子のスープを食べて
地下鉄で戻ってきた所だ。

でも、ビッグショーは「ザ・ワールド」は家のようにくつろげる所だとわかっていたようだ。


「この商売はね、人が惰性で行動する人間になっちゃうんだよ。」彼は説明する。


「俺達は、同じジムやホテルや同じレストランに行くからね。皆が自分の事を知っているから、喧嘩も少ないしね。
知っての通り、デカイ奴が隣に引っ越してきたら、一大事になるしさ。
でも、2〜3ヶ月間そこに住むと、そのデカイ奴の足のニオイに気づいて、彼をそっとしておこうと思うよ。」

食欲を我慢する事が難しい事に気がつくと、ビッグショーは街を横断する旅の前に、おやつを食べる事にした。

それは露天商の「アバ・アラ・アイザンの屋台」から買ったフランクフルト・ソーセージ2本とピリッと辛いソーセージ1本だった。


今は夕方近くで、ニューヨークの地下鉄沿線の別の地域からやってきたファンは、マディソン・スクエア・ガーデンでの夜の
WWEのショーを観にマンハッタンにやって来ようとしていた。

ビッグショーがブロードウェイを横切ると、これらのファンの何人かに見つかり、「ザ・ワールド」までの何ブロックかを列をなして歩き出した。
彼らは大会が始まる前に、お気に入りのスーパースターを一目見られないものかと期待している。


彼らはラッキーだった。
ブラッド・ショー、ブロック・レスナー、ショーン・スティジャックとハーバード卒のクリス・ノウィンスキーは、すでに建物の中にいて、
プライベート・ルームで食事をしたり、冗談を言ったりしていた。

ある点で、「ザ・ワールド」に出演している「マインド・フリーク」ショーのスター、イリュージョニストのクリス・エンジェルは、
ブローラーズに入り、明らかに脳波でフォークを曲げようとしていた。


とりわけ、この最中にビッグショーは、どうにかして別の部屋で急いで昼寝をする為に、こそこそと入っていこうとした。

それから、そのビルの前にいるファンの大群を避ける為に、キッチンを抜けて歩きながら、ビッグショーは当時、
タッグチーム・パートナーだったエックスパックに付き添われてバンに乗り込み、マディソン・スクエア・ガーデンの駐車場までの
8ブロックをドライブした。


2人は、ゴールダストとブッカーT組と戦う為に組まれた。

ゴングが鳴るや否や、4列目の体格のいいファンは、ビッグショーを野次りはじめた。

リングエプロンを振り返りながら、ビッグショーは、困ったファンを見て、全体のセクションに充分聞こえるように大声でこう言った。


「ドーナツは、いかがですかぁ〜!!」


その返答は観衆を笑わせ、彼らを試合の中へと引き込んでいった。

簡単な仕事ではない。その後に、試合はRVDとエディー・ゲレロの華々しいハシゴ戦が続いた。

4人の参加者全員の名前に対して、強さのレベルは下がる事はなかった。


後に控え室で、訪問者のHBO(米テレビ局)系列のドラマ「オズ」のスターである、メル・チャンシーと
チャック・ジトー同様に、仲間達に取り囲まれて、エックスパックは戦略を語った。


「君達は、観客をわかってやらなくちゃいけないよ。そういう熱い試合の後は、そこら辺一帯を飛んだりする事も出来ないんだよ。
皆に打ち勝とうとしちゃだめだしね。自分達の独自のペースで始めて、信用を築きあげるんだ。」

「ファンには、リング内に選手がいる限りは関心を持ってほしいね。」ビッグショーは付け加えた。

「君の言っている事は全部正しいよ。」


ビッグショーは日曜日、マリオット・マーキーズ・ホテルのロビーを抜け、「リンディーの店」までゆっくり歩き始めた。
そのカフェテリアは、値段自体がニューヨークの古き良き時代の一部分なのだ。
チーズバーガーを食べ終わると、ビッグショーは写真家のクレイグ・メルビンのコンビーフと
パストラミソーセージとサラミのサンドイッチのいくつかを食べる事にした。


「う〜ん、これはうまい。」ビッグショーは言った。

「もう1つ買いに行って来るよ。」


バンをリムジンに乗り換えて、ビッグショーはエックスパックを再び同伴して、WWEがデビューのお披露目を用意してくれた
コネチカット州、アンキャスビルの「モヒガン・サン・カジノ」までのドライブの為に車の後ろに乗り込んだ。

高級車のゆったりさにもかかわらず、ビッグショーは、頭をぶつけないようにする為に、まっすぐに座った時、首を曲げなければならなかった。


ドライブのほとんどは、シートを背にして背中を支えながら、床に寝そべった。しかし、決して快適ではなかった。


マット上の戦いにおける彼の悪名にもかかわらず、彼はそんなに昔ではない子供の頃、サウスカロライナ州、
エイケンに住んでいて、テレビで「ネイチャーボーイ」リック・フレアーを見ていた。


「俺はよくバスケをやっていて、仲間とダンクショットしていたよ。」
彼はリムジンがコネチカット州、スタムフォードにあるWWEの団体本部を通り過ぎた時、思い出を語った。


「それから俺は、リック・フレアーの気取った歩き方を真似して、“Woo〜!!”と言いながら歩いたものさ。」


成長するにつれて、ビッグショーはウィチタ州のゲームセンターで遊ぶ事を卒業して、元テレビドラマ「パートリッジ一家」の子役で、
現在DJをしているダニー・ボナデュースによって、レスリングの仕事を紹介された。


「バスケの有名選手が1人いたんだよ。」ビッグショーは言う。

「そして彼は俺を、対ハルク・ホーガン&ジミー・ハート用に秘密兵器として使ってくれたんだ。

ハルクはアリーナの超満員の観客の前で、俺のショーツを下ろしたんだぜ。それから彼は、俺にこう言ったんだ。
「君はオデコにドル記号($)がついているぞ。それに君は気づいてさえいないな。」とね。」


ビッグショーは、旧WCWの為の学校である「パワープラント」でトレーニングを始めた。

それからアンドレの長年離れて暮らしていた息子の「ザ・ジャイアント」として宣伝されてWCWに入団した。


「俺はボスについての話が大好きなんだ。」ビッグショーは、アンドレのニックネームについて引き合いに出しながら言った。


「ハルクは、アンドレについていくつか思い出があるんだよ。テイカーもそうだね。俺は、アンドレが飛行機に乗った時、
彼の周りにあるものは皆、彼の物だと思ったという話を聞いた事があるよ。

もし、他の誰かが頭上の荷物入れにバッグを置くのなら、アンドレはそれを取って持ち上げて入れてやり、通路に降ろしてあげて
自分の席に戻ったものだよ。誰も今まで一言もこの話をした事がないよ。」


ビッグショーは直ちに、対ホーガン戦をWCWのメインイベントまで進ませた。

WCWを去って、WWEに入ってから、ビッグショーは対HHHとロックとの三つ巴戦でWWE世界王者になった。
振り返ってみると、彼はこれらの目標の為の準備は出来ていなかったし、早くからの成功の喜びはこの業界での未経験
の印象で終わったと思った。


「この仕事で、頼りになる人材になるまでには6年はかかるって聞いた事があるよ。」彼は言った。


「カート・アングルのような奴は早く出世するけれど、そんなの一握りの奴だけさ。でも俺は、試合に集中するまでに随分かかったよ。
俺は、かなり早くに多彩な人材の集団に投げ込まれたんで、座って優先権について考えるチャンスはなかったんだ。」


「レッスルマニア16」(彼は対HHH、ロック、ミック・フォーリーとの四つ巴WWE王座戦というメインイベントに出場した)の後、
前タイトル保持者は、かなりの落ちぶれた状態だった。

WWEのマネージメントは、ケンタッキー州を拠点とする開発団体のオハイオ・バレー・レスリング(OVW)に送り込むと彼に通告した。
膝のリハビリと肩の怪我を治し、精神的な姿勢を調整する為だった。


「OVWで、俺はこの仕事の純粋な部分を見てきたよ。」彼は思い出す。

「仲間達が成功する為にやらなくちゃならない事は、リングの回りに観客を引き寄せる事なんだ。
お金のない小さな街の会場で試合をしながらだよ。俺は、これは何か特別な事だと気づき、プロレスを心から愛するようになったよ。」

モヒガン・サンでの試合の前、ビッグショーは壁にもたれてリングに向かう前にお祈りを唱えた。

彼がかなりタッグチームでの対決に出場している間、エックスパックは、ブッカーのサイドウォーク・スラムをくらい、
ムチウチ症にされ、彼のシザースキックですぐにノックアウトになり、全然ツイていなかった。
彼は何とかして、その試合を終わらせようとしたが、後にトレーニングルームで余計に時間をくってしまった。


翌日の夜、エックスパックはRAWに出演したが、試合には出なかった。

それでもリムジンが一晩中、モヒガン・サンからボストンまで走り続けている時(コネチカット州とRAWが行なわれるニューハンプシャー州、
マンチェスターの位置の中間地点)エックスパックは元気になっていき、WWEで一番大きな選手達について話し始めた。
彼はビッグショー、アルバート、ブロック・レスナーの名前を挙げた。


「でも…。」彼は急いで付け加えた。

「間違いなく、神様の造られた緑の地球上での最強の男と言えば、マーク・ヘンリーだよ。」

ビッグショーは、WWEとOVWの両方でヘンリーと戦った事を思い出してクスクス笑った。

「奴は、優しくて面白い男だよ。」ビッグショーは言う。

「でも自分自身に嘘をついてはだめだぜ。マーク・ヘンリーを何か怒らせると、奴に急所を半分に切り裂かれるぞ。」

皮肉な事に、マーク・ヘンリーの様な強力な選手はおそらく、人生の大半を怪力男の大会に費やしたトレーニングで機嫌をコントロールすることに
時間をかけたんだろうとビッグショーは、理論づけて言った。


「どうしてなのかは、わからないけれど…..。」彼は言う。

「でも、君が大きかったら、いつも自分と喧嘩したがっているバカが何人かいるんだぜ。

俺は誰よりもよくそれについてはわかっているからね。もし君が大きかったら、世間の人は、のろまでうざったい奴だって思うものだよ。
皆、俺がチョークが上手くて、ダメージをたっぷり与える事が出来る50ポンド(約22,5s)のこぶしを持っていることを忘れているんだぜ。」


エックスパックが、うとうと居眠りを始めた。
ビッグショーは携帯電話を取り出し、妻のベスと自分の2人分のホテルの宿泊予約を入れた。

「彼女は、カナダ出身の美しいギリシャ人の女性だよ。」彼は電話を切ると言った。

「俺達が初めて出会った頃、俺は彼女に「巡業に付いて来るかい?」と聞いたんだよ。

彼女は一年半に及ぶ巡業生活を共にしてくれたが、もうやめたんだ。理由は、パパラッチが取り巻いていて、
彼女はずっと人目にさらされて来たからなんだ。
彼女は俺の生き様をよくわかってくれているし、俺の親友でもあるんだよ。」


一度、彼は偶然にも、自分のバッグの中に詰め込まれた妻の持ち物を見つけた。

彼は今、それを幸運のお守りとして持ち歩いている。彼は生放送の間、花道を歩いてくる時、まず、

右の手首をひねり、それから左の手首をひねり、又、右手の手首をひねっている。

それは「愛している。」という妻への無言のメッセージなのである。


ニューヨークでの一日を始めてから、ビッグショーはボストンのホテルの前でリムジンから無理に出てきた時、完全にヘトヘトに疲れていた。


「背中がちょっと疲れたよ。」彼はブツブツ言った。

「この車の床に寝転がるのは、リングに持ち込まれる凶器よりも酷いよ。」

ホテルの部屋で彼はテレビをつけ、子供向け映画の始まるところをちょうど見つけた。

それは「モンスターズ・インク」だった。

眠りに落ちる代わりに、彼は午前3時までその映画を見ていた。


月曜日の朝、彼はホリデーイン・ホテルの部屋を見せてくれた。

足がキングサイズのベッドの端からはみ出しているとはいえ、彼は斜めになって眠りながら、快適に休めると言っていた。
自宅では、彼と妻は1万1千ドル(約136万円)する90インチ(約230センチ)の特注のベッドに寝ている。


バスルームでは、頭を天井で擦りむいてしまい、体をぬらす為にシャワーノズルを手で操らなければならなかった。
それから髪を洗う為にかがんだ。
トイレはいつも小さすぎた。でも、それを使わなければならないのである。


マンチェスターまでの旅の為に、ビッグショーは黒いナビゲーターを借りた。

それは彼の「選ばれたドライブ」なのだ。彼がテレビの生放送に出るのに、一日は何かのんびりした時が必要だった。


「テレビに出るのは、ワクワクするね。」彼はニューハンプシャー州に向けて、車を走らせながら言った。

「だって俺は今から戦場に行くんだぜ。」


ビッグショーは、エックスパック、ショーン・マイケルズ、そしてケピン・ナッシュと一緒にNWOのメンバーとして、その一日が始まった。


「ポール(ビッグショーの本名)と一緒に旅に出るのは楽しい体験だよ。」WCW時代からずっと巨人の親友であるナッシュは言う。

「誰も6万ドル(約744万円)のレンタカーを壊せる奴はいないよ。ビッグショーの様な700マイル(約1126q)もの距離を手動ギアで、
低速に切り替えているんだよ。」


4人は、ヴェリゾン・ワイアレス・アリーナに結集し、ケータリングが用意してある場所で、RAWの為に戦略作戦を練り、
最新のスマックダウンのビデオを見ていた。

ビッグショーは、特にカート・アングルとOVWからやって来た昔の仕事仲間であるジョン・シナとの口喧嘩には興味をそそられた。


「奴は、若い頃のスティング(元WCWスター)を彷彿とさせる男じゃないか?」ビッグショーは感動したようだった。

楽屋の長椅子で昼寝をした後、ビッグショーは、ポール・チコーネ先生とトム・プラット先生の所へ診てもらいに行った。
彼らは、マンチェスター・モナークスというホッケーチームの専門医で、ビッグショーの首と肩を治す目的で治療をしてくれるのだ。


ビッグショーが診察台の上で顔を下にして横になると、医師達はタオルを彼の首に巻き、痛い節々を良くなる様に祈りながら、同時に引っ張った。
でも、ビッグショーのサイズで関節と体の表面の間にある肉のボリュームは、難しく退屈な仕事であった。
しかし、何かが明らかにほぐれ、ビッグショーが部屋を出た後、ナッシュは頭をわしづかみにし、明らかに何もかもねじって元の位置に戻していた。


RAWで、ビッグショーはブッカーTと衝突を起こした。

私達が2日間一緒にドライブした社交的な性格は崩壊し、ガミガミ言って、恐ろしげな巨人に取って代わっていた。
リング内をドシドシと歩きながら、ビッグショーはブッカーTにカウントアウトを取って勝つ前に、こらしめながらリング内で
恐れさせる意地の悪い所を見せた。


ブッカーは、観衆の中へ急いで去る前に、彼の十八番の「スピンルーニー」をやりながら祝福していた。
ナッシュとマイケルズがリングに押しかけてくるまで、ファンと抱擁していた。


ナッシュがマイクを取り、「試合に負けたどのNWOのメンバーもぶっ飛ばす」という早すぎる約束を繰り返して言った時、楽園に明らかに問題が起こった。

彼とビッグショーは、マイケルズが2人の間に割って入り、2人に「キスして仲直りしろよ。」とせき立てる前に、殴り合いを始めた。
それから彼らが両手をパンと叩き合った時、マイケルズはビッグショーをスーパーキックで打ち負かした。


ファンと一緒に人間モンスターの地位について訝しがりながら、フラフラのビッグショーは結局、マットから起き上がり、
アリーナの地下通路を抜けて歩きながら楽屋に戻った。

汗をしたたらせながら、彼は休息を取る為に空いている椅子に体を降ろした。


最後の72時間を過ごしてから、ビッグショーは今、次の72時間を楽しみにしていた。

それはタンパ(フロリダ州)の自宅への旅と、妻と一緒にデイトナ・ビーチでの短い休暇を過ごす事だ。

しかし、その時間は私達のビッグショーと一緒の旅の終わりを意味していた。


そして、もう1つの72時間の飛行機の旅とレンタカーのカウンターと移動中の食事とファンが車の窓越しに顔を押し付けてくることと、
スーパーキックとサイドウォーク・スラムとスパイン・バスターが始まる事だろう。


上記記事は「Peach Pie」さんが翻訳なされたものです。
使用されている文章の著作はPeach Pieさん
に帰属します。無断転用、再配布厳禁


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